先月27日からこの9日までは「読書週間」。そして、読書週間初日の27日は「文字・活字文化の日」だった。
ある全国紙がそのキャンペーンの一環として、何人かの識者のコメントを載せていたのだが、その中に芥川賞作家の辻原登の一文が心に留まったので紹介したい。
彼の「本のある風景」という表現にまず感心している。実は、周囲に本がいっぱいある風景は私の一番好きな光景でもある。
私は図書館や本屋さんに行ってブラブラするのが好きで、何か目的があるわけではないし、何も買わずに帰るときも多いのだが、見渡す限り本が並んでいる中に自分を置いて、いろんな本の表紙を見渡すのが好きなのである。
本屋を出るときに、自分の中に知的好奇心が沸き立ってくるのが分かる。
辻原登が「言葉の大切さ」を説きながら、「手書き」を奨めていたのも興味深い。パソコンの普及によって私たちは手書きをほとんどしなくなった。
私は自分の県議会報告の郵送だけは、自分の手書きの手紙を同封し、封筒の宛名も手書きにしているのだが、手紙の字が段々汚くなっていることを恥じており、時折パソコンの文字にしようと思う時がある。
そんな時、辻原登の「せめてラブレターは手書きで」に出会った次第である。心を込めたいメッセージは、これからも手書きで続けたいと思う。
ある全国紙がそのキャンペーンの一環として、何人かの識者のコメントを載せていたのだが、その中に芥川賞作家の辻原登の一文が心に留まったので紹介したい。
彼の「本のある風景」という表現にまず感心している。実は、周囲に本がいっぱいある風景は私の一番好きな光景でもある。
私は図書館や本屋さんに行ってブラブラするのが好きで、何か目的があるわけではないし、何も買わずに帰るときも多いのだが、見渡す限り本が並んでいる中に自分を置いて、いろんな本の表紙を見渡すのが好きなのである。
本屋を出るときに、自分の中に知的好奇心が沸き立ってくるのが分かる。
辻原登が「言葉の大切さ」を説きながら、「手書き」を奨めていたのも興味深い。パソコンの普及によって私たちは手書きをほとんどしなくなった。
私は自分の県議会報告の郵送だけは、自分の手書きの手紙を同封し、封筒の宛名も手書きにしているのだが、手紙の字が段々汚くなっていることを恥じており、時折パソコンの文字にしようと思う時がある。
そんな時、辻原登の「せめてラブレターは手書きで」に出会った次第である。心を込めたいメッセージは、これからも手書きで続けたいと思う。



