八ツ場ダムの名前を聞くと心が痛んでくる。「東の八ツ場、西の苫田」・・・ダムの大きさ、水没家屋の多さ、権力によるダムごり押しの卑劣さ・・どれをとっても類似している東西二つのダム反対闘争を、私たちはこう呼んでいた。
奥津町の反対住民は、「苫田ダム阻止」の旗印に「日の丸」を染めこむほど保守本流の人たちだった。
その人々が訴え続けたのは「苫田ダムには、理もなく、法もなく、情もなし」ということだった。「理」とはダムの必要性の理屈なし、「法」とは国による権力的な地方自治を侵害、「情」とは人の真心を札束で叩くような理不尽さを言う。
特に苫田ダム闘争が大きく盛り上がったのは「お上の一方的な押し付け」反対という点だった。「苫田ダム賛成」の人も、この「お上の一方的な押し付け反対」という点で一致していたのである。
今回の民主党政権・前原大臣の手法はどうだろうか。「ダムは不必要」という「理」では同感だが、「法」と「情」に欠けると思っているのは私だけではないと思う。
政権についた民主党のマヌュフェストといえども、その実行には地元自治体との「法」という「民主的な手続き」が必要ではないのか。
長い「ダム反対」闘争の中、矢尽き刀折れ、やむを得ず賛成派に転じて水没後の地域振興に望みを託していた人たちとの思いを汲み、住民合意をまず優先する「情」が必要ではないのか・・。
苫田ダム闘争の最後、多くの人が止むなく墳墓の地を去っていく中、「我ら四面楚歌なれど、天が空いている」と叫んだある古老のリーダーも、晩年、奥津を去り、都会に住む子どもさんに見守られながら他界された。
「八ツ場」の関係者も同じ思いの方は多い。今回の前原大臣の姿勢は、その人たちとの合意を優先する「民主的手続き」を無視した「マヌュフェスト絶対主義」とも言うべきものである。
私は、「八ツ場中止」の報に誰よりも大きな感慨を覚えるとともに、その手法に誰よりも異を唱えるものである。