2011年5月アーカイブ

岡山市の城下にある「禁酒会館」の裏庭で開催された「おかやまフォークジャンボリー2011希望」で、伝説のフォークシンガー笠木透さんとデユエットさせていただきました。私にとっては「歌手初デビュー?」です。

 曲名は、笠木透さん最高のラブソング「私に人生と言えるものがあるなら」・・・。

 

 ・・私に人生と言えるものがあるなら あなたと過ごしたあの夏の日々

   きらめく草の葉に 心がはずみ 野に咲く花に 心がゆらぐ・・

 

 私は、歌う前の挨拶で、次のようなメッセージを贈りました。

 

 東日本大震災の「3.11」以降、政治家は何を語るべきなのか、詩人はどんな言葉を発するべきなのか、歌手は何を歌うのか・・みんな苦悶しています。

 しかし、笠木さんの歌は、ずーっと以前の歌でも「3.11」に耐えうる歌のような気がしてなりません。それは、笠木さんの歌が、人間そのものを歌っているからだと思います。

 この「私に人生と言えるものがあるなら」も、人間の原点を大切にする歌として被災地に届けたいと思います。

 

 ・・許されるのなら やりなおしてみたい

   できることなら あの日にもどりたい・・ 縮小.jpg


岡山県医師会から「医師会報1300号記念特集号」が届きました。昭和25年創刊発行ですから60年の長きにわたって発行されてきた伝統の会報です。「1300号記念」は厚さも1センチ以上のボリュームですが、内容も「医療と産業」というテーマで、現代の医療問題に切り込むものとなっており、読み応えがあります。

 

 県医師会長の井戸俊夫先生は、巻頭論文「医療の産業化は許されるか」の最後でこう指摘されています。

 

 「今後医療ツーリズムによって、公的医療費が抑制されたり、自費診療が広がって、貧富の差別なく国民誰もが等しく受けられた医療に格差が生じ、わが国の国民皆保険制度が危機に晒されるようなことになるのであれば、それは我が国の医療崩壊を再度到来させるものであり、医の本質を見失うことになるから、この「医療ツーリズム」、「医療の産業化」を絶対に許してはならないのである」・・・・私は、その確固さには頭が下がります。

 

 医師会は、昨年1031日「医療と産業」のテーマでシンポを開催していますが、その場での私のフロア発言も、この「特集号」に掲載されています。

 私はそこで、「岡山県当局の医療の産業化=医療ツーリズムは、保健福祉部ではなく産業労働部の観光課が進めているものであり、医療の本質とは無関係の部署から発信されており、議論する場が違う」と指摘しました。

 

 東日本の震災で問われている「いのちと絆」は、国民皆保険制度の真価が発揮される問題でもあり、井戸会長の巻頭論文は、今読み返しても意義深いものと感服しているところです。

  医師会報.jpg


入梅も例年より早いのですが、台風の襲来も例年より早く、驚いています。台風が南のコースを取り、温帯低気圧に変化したため岡山では風の心配は余りありませんが、梅雨前線の関係でかなりの雨が降っています。

 

 雨が降ると私がいつも心配なのが、瀬戸から上道、西大寺を流れる砂川のことです。県当局も現時点で可能な対応をしているのですが、元々「天井川」ですので、少しの雨でも心配になります。

 

 今日も、瀬戸の元町議の水田さんや、関係の土木委員さんと連絡を取りながら、砂川を見て回りました。

 それにしても、5月末の段階からのこの状況・・例年に比べての異常さに、不安を抱かざるをえません。

  砂川 5月29日.jpg


ねり供養縮小.jpg5月5日の行事ですから、もう20日も前になりますが、西大寺と牛窓との境にある千手山弘法寺に室町時代から伝わる「踟(ねり)供養」を見学に行きました。

 

 菩薩や地蔵の行道面(ぎょうどうめん)を被った行列、中将姫の像を受け取る極楽の阿弥陀仏(上半身像)・・・その華やかさは、観るものをうっとりさせます。

 

 嬉しいことは、見物客の方が、2年前より増えていることです。世話役の方々の献身的なご尽力のおかげかと感謝しています。

 日本三大踟供養の一つとされるこの法会が多くの人たちに見守られていっそう盛大になることを期待しているものです。

 


原発問題で我が党は、「第1次」「第2次」の提言を発表しています。その中で、「原発からの撤退を決断し、原発をゼロにする期限を切ったプログラムの作成を」の提言をしています。

 また、不破哲三氏の「『科学の目』で原発を考える」という提言も、マスコミで注目され、反響を呼んでいます。

 

 そして、我が党として、「原発からの撤退を求める署名」に取り組む方針を確認し、その取り組みを進めています。

 

 「提言」「署名」などは、私のホームページの「東日本大震災の救援復興」コーナーの「日本共産党中央委員会」から見ることが出来ます。ぜひご覧ください。

 

武田英夫のホームページは http://takeda.m-cast.jp/index.html

 


低空飛行.jpg32日県北での米軍機低空飛行により、津山市の民家の土蔵が全壊した事件に関しては、3月段階の「いのしし日記」で報告し、その「調査結果」もホームページの「政策・見解」に掲載しているところです。

 

 この度、2人の新たな目撃証言を得ることが出来ましたので、我が党の誇る大野調査員らが追加調査した結果、「土蔵崩壊の井口さん宅の上空30㍍~40㍍の高さ」だったことが明らかになりました。

 

 土蔵崩壊の補償を求める井口さんに対して、米軍は「あくまで航空法遵守(150㍍)」を主張しているとのことですが、その真偽が厳しく問われることになります。

 

 また岡山県としても、アメリカや防衛省の言い分を鵜呑みにすることなく、住民と被害者の立場に断ち切った姿勢が問われています。

 

 我が党としては、来週にも仁比そう平・元参議院議員を中心にした大型調査団を組む予定で、国会での議論など「国政の重要問題」としてさらに取り組みを強化する予定です。

 

 


岩手県宮古市を中心に活動していた日本共産党岡山県委員会の須増さんと石村さんが21日、帰岡しました。その様子は、二人のブログをご覧いただきたいと思います。そのブログからは、現地の様子がリアルに伝わってきます。被災の深刻な実態とともに、復興への息吹も確実に伝わってきます。

  また被災地の共産党の同僚議員が、自らの被災のなかでも献身的に奮闘する姿は、頭が下がり胸が熱くなります。

 

 とりわけ、須増さんや石村さんが、被災地の日本共産党地方議員と一緒に現地を歩きまわって把握した実態は、これからの救援・復興に大きな参考になります。

 

例えば、避難所から仮設住宅に移る際に、食器類が必要だということなのです。入居の際に、行政から支給される食器は限定されているので、たくさんの食器が必要とのことです。私たちはさっそく食器の段取りを相談しています。

 

 救援復興活動も、あくまで「現場主義」を貫かなくてはならないと痛感しました。

 

復興の息吹を感じさせる仮設住宅の写真は「いのしし日記」に掲載  http://takeda.m-cast.jp/index.html

 

具体的な様子は二人のブログをご覧ください。

須増伸子  http://angel.ap.teacup.com/1004/

石村とも子 http://blog.goo.ne.jp/ishitomo2010/ 仮設住宅.jpg


ついにメルトダウンが・・・またまた「想定外」のフレーズが流行りはじめるが、事実を冷静に見れば、今日の事態は十分に予測されており、しかも再三再四その危険性が指摘されていたものなのです。

 

その点で、先般の参議院経済産業委員会の参考人質疑で、作家の柳田邦雄氏が指摘したことは極めて重要だと思っています。

 

・・・・最低限守るべき基準が「それを維持すればよい」という最大限の「線引き」に化ける「逆立ち減少」がおきている。「想定外」というのは「それ以上のことは考えないようにしよう」という思考形式に免罪符を与えるキーワードです・・・

 


17日は岡山県下の地方議員会議が開催され、6月議会に向けて活発な議論を行いました。私も「6月議会の課題」について報告し、議論に参加しました。

 

 午後からは、地震研究の専門家を招いて「そもそも地震とは」から始まり、東北大地震のメカニズム、そして岡山平野の液状化問題までみっちりと学習しました。

 

 さらに、夕方は科学者会議岡山支部主催が岡山大学構内で開催した「原発問題学習会」に参加して、「ウランの話」から「福島原発」の問題、今後の原子力行政の在り方まで体系的な勉強をさせてもらいました。

 

 また、18日は県の危機管理課から「岡山県の防災対策の強化」の状況についてレクチュァを受ける県議団に同席させてもらいました。

 

 地震・津波・原発・・どれも科学的な知識が議論の前提に必要なものばかりです。しっかり勉強しなくては・・と改めて痛感する毎日です。

  原発学習会.jpg


山田町.jpg前号で報告した東北への日本共産党震災ボランティアの須増さん、石村さんは、16日に岩手県盛岡市にある日本共産党岩手県委員会に到着。翌17日には岩手県山田町に到着して、さっそく活動を開始しました。

 

 山田町は海岸沿いの町で、人口18000人のうち5%に当たる約850人が死亡・行方不明になっています。須増さん、石村さんは地元の町議と一緒に在宅被災者に「岡山の米」を届ける活動などを繰り広げています。

 行政経由などで支援物資を送るのに比べて「相手の顔が見える支援」で、双方元気が出るようです。

 

 具体的な様子は二人のブログをご覧ください。

 

須増伸子  http://angel.ap.teacup.com/1004/

 

石村とも子 http://blog.goo.ne.jp/ishitomo2010/

 


私たちはこの2ケ月余、救援復興活動を中心に取り組んできましたが、連休前から「日本共産党現地ボランティア隊」を本格的に現地派遣する活動にも取り組んでいます。

 

 その第1陣として、15日夜、須増伸子さんと石村とも子さんが出発。石井ひとみ県委員長らも参加した「出発式」の後、元気に東北に向けて出発しました。

 

 活動地は岩手県宮古市です。今日の新聞によると宮古市の被害は14日現在、死者412人、行方不明355人。津波の高さ38.9メートルとあります。

 信じられない数字を抱え込む現地の様子はどうなのか、その中でボランティアに何が出来るのか・・・2人の奮闘を期待したいし、またその報告を待っているところです。 出発式.jpg


ハンドの会.jpg15日には岡山市中区の後援会「ハンドの会」が主催して、東日本大震災の被災地支援報告会がありました。

 報告者は、元岡山市議の崎本敏子さん。426日から30日まで、看護師として宮城県塩釜市の避難所救護室に常駐し、不眠不休の看護活動を行った話しは頭が下がるものでした。

 

 崎本さんによれば、震災から一ヵ月半の428日の避難所の食事メニューは次の通りです。

  朝食    飯、みそ汁、ウインナー3本

  昼食    カップめん、バナナ1本

  夕食  五目飯のおにぎり 1個、豚汁

 

 摂取カロリーは約1300から1500カロリー。たんぱく質不足が危惧されています。「地震と津波で一度助かった命を避難生活の病気で死なせてはならない」・・崎本さんの強い思いが伝わってきました。

 


選挙や連休で少し途絶えていた「義援金」募金を再開しました。14日土曜日にはクレド前で氏平みほ子県議らとともに、横断幕を掲げ、募金に取り組みました。

 

 若いアベックや、小さな子ども連れのお母さんらが歩み寄ってきて募金箱にお金を投げ込んでくれえるのが印象的でした。

 

 日本共産党は震災直後から義援金募金に取り組み、現時点で、党本部には6億円を越す義援金が寄せられ、先日志位委員長らが東北訪問をした際、自治体や農協・漁協に手渡しました。

 岡山県委員会に直接寄せられた募金額も500万円を越しています。 クレド前義援金.jpg


東日本大震災の救援復興の取り組みが県内でも大きく広がっています。私たちも、先月には「液状化調査にための千葉県浦安市訪問」「県内の企業の影響調査のための中小企業団体中央会訪問」などに取り組み、今月に入って県の「震災影響検討プロジェクトチーム」のレクチュアも受けました。

 

すでにマスコミでも報道されていますが、岡山県中小企業団体中央会が行った「地震の影響緊急調査結果」は深刻な実態を反映しています。 

これは、中央会が44日から20日の間に、県内中小企業組合を対象に行ったもので、次のような結果となっています。 

・組合員企業の事業拠点の被災など直接的な影響がある 21

・間接的な影響を大きく受けている 28

・な影響をやや受けている 21

・現時点では影響はないが今後は影響を受ける見通し 18% 

 

以上で、「今後の影響」を含めて88%の方が震災の影響への不安を抱いているのです。

 

 最近の報道では、震災の関係で仕事が増えている業種の話なども出ていますが、建設業などを含めて、「今後立ち上がれない」ほどの深刻な影響を受けている業種も多いのが実際です。

 

 私たちも、「現場主義」で「被害の実態」をしっかり掴んだ取り組みをしていきたいと考えています。 中央会 縮小.jpg


これまでの「いのしし日記」を「NEO」バージョンで再開します。「NEO」は、ギリシャ語で「NEW」の意味です。県議時代に書き足りなかったことや、5月からの新しいポジションから見えてくるものなどを発信していきたいと思っています。ご期待ください。

 

 ホームページも「NEO」バージョンに更新しています。表紙の「裸祭り」の写真は、西大寺で長い間「会陽・裸祭り」の写真を撮り続けてきた中井三郎さんが撮影したものです。「工事中」の箇所もあるホームページですが、ぜひ。ご覧ください

(ホームページのURLはhttp://takeda.m-cast.jp/index.html表紙.jpg


風薫る頃になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

私の友人の多くが、東日本大震災の救援・復興の支援に東北に出かけ、その便りを伝えてきます。筆舌に尽くしがたい現地の状況とともに、救援復興に立ち上がる被災者の方々の息吹、全国からの支援の輪の広がりとその「絆」の暖かさも伝わってきます。

 

私が5月から勤務する日本共産党岡山県委員会は、震災直後に「東日本大震災救援復興対策本部」を立ち上げていますが、この度、その事務局長を引き受けました。「真の復興は人間復興」「上からの押し付けでなく、住民合意を貫いた復興を」「原発事故の収束と原発政策の根本転換」の立場で、救援復興活動の先頭に立ちたいと願っています。

県議20年を振り返ってみても、県内で発生した災害の対策のため、防災服を何日間も着たままだったことを思い出します。平成10年の台風災害、平成12年の鳥取県西部地震災害、平成16年の高潮災害、平成21年の美作豪雨災害・・災害は「忘れた頃」ではなく、「忘れずに必ず」襲い掛かってきたと言っても言い過ぎではありません。

その度に、「政治とは何か」「国の責任と地方の役割」を深く考えさされてきましたが、今後もそのことを問い続けて歩んでいきたいと思います。

 

さて、5月から勤務する日本共産党岡山県委員会の事務所は、私が高校生時代に日本共産党の門をたたいて入党して以来、学生運動・青年運動時代に通い続けた事務所であり、さらに青年運動を卒業して以降、県議になるまで勤務していた事務所です。私にとっては古巣に戻った思いでいます。またそれだけに、自分の政治活動の原点を思い出させてくれます。

「時代そのもの」も「自分たち自身」も疾風怒濤のような激しさで動いていたあの時代、私たち学生運動のスローガンは「祖国と学問のために」でした。戦後の荒廃から「祖国日本の復興」と「大学の自治と学問の自由」を希求した先輩たちの思いがこもったものでした。

今日の国難ともいうべき東日本大震災にあたり、この古めかしいが気宇壮大なスローガンを思い起こし、あらためてその原点に立って奮闘したいと思います。

 

これからもどうかよろしくお願いします。

 

旗をあげたら おろさない

旗をふったら やすまない

 

どんな風にも 放さない

 

そして 旗は一生に一本で いい

(相田みつお「旗」より)


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