2011年6月アーカイブ

28日と29日、岡山市議会選挙に初当選した30代コンビ、東市議、田中市議の初質問があり、応援も兼ねて傍聴に出かけました。

 

 身内の若手議員のことなので、誉め過ぎかと思われるかもしれませんが、「党派を超えた新人議員の初質問」を数多く聞いてきたものとして、お世辞ではなく、その溌剌さ、清新さは感動物でした。

 

 最初の質問と再質問は、先輩議員の応援を受けてそれなりに準備できるものですが、再々質問となると、「筋書きのないドラマ」と一緒で、「ことに通じる」勉強をしていなくては出来るものではありません。

 東市議の「地震の西村理論に関する詰め」にしても、田中市議の「避難所の詰め」にしても論点をよく掴んだものでした。

 

大勢の傍聴者全員が「大満足」の質問戦でした。

(写真左が田中市議、その横が東市議)

 

 

 

 

市議団.jpg 

 

 

 


21日の県議会での氏平県議の一般質問が、新人離れした堂々としたものであったことは既に紹介しました。その質問の中で、議場の皆さんには聞いたことがないだろう話が二つばかり出てきたと思います。「堀内レポート」と「西村理論」です。

 

 「堀内レポート」とは「水島臨海工業地帯」の災害対策に関して、倉敷市が京大工学部の堀内三郎教授に委託したもので、「コンビナートであるが故の複合的な弱点」を指摘したもので、それはその後の「コンビナート災害対策」の指針にもなっているものです。

 

 「西村理論」は、地震災害の「常識」を覆すものですが、それが文部科学省や国土交通省で採用されつつあるものです。

 

 いずれも、「最新の知見を生かして」、「科学的な対応」を県当局に求めたものです。日本共産党ならではの、さすがの質問だったと思います。


26日、「こころの健康署名626統一行動」が取り組まれ、集会、署名活動が行われました。

 

 私も県議時代から賛同していた関係もあり、時間の関係で、署名行動にだけ参加させてもらいました。県立病院の中島院長ら岡山県の精神医療の最先端におられる方々がマイクを握って訴えられる中、100人近い方の参加での署名活動が繰り広げられました。

 

 「こころの健康署名」とは何でしょうか・・例えば、「三大疾患とは何々か」の質問に対し、先進国では「精神疾患、ガン、循環器疾患」となっています。しかし、日本では「精神疾患」が位置づけられていません。

「こころの健康」を国の基本的な政策として位置づけ、総合的で包括的な政策を実現することが求められている・・・ここに「こころの健康署名」の位置づけがあります。

 

 全国で100万人署名が繰り広げられています。岡山では26日がスタートです。

  こころの署名 縮小.jpg


西大寺会陽の写真を撮り続けている中井三郎さんから声がかかり、西大寺公民館の写真講座の「矢田寺あじさい撮影会」に参加させてもらいました。

 

 「デジカメで構いませんから」とのことだったので、いつものポケットサイズを持参・・しかし、バスに乗ってみんなのカメラを見た途端、冷や汗が・・みんな本格的なカメラを首に吊るしていたではありませんか。

 

 いまさらバスを降りる訳にはいかず、奈良県大和郡山の金剛山矢田寺まで往復6時間、撮影会4時間の強行軍にお付き合いをさせていただきました。(もちろん私は列から離れて、お寺を散策させていただきましたが・・)

 

 さすが「あじさい寺」というだけあって、その鮮やかさ、ボリュームには圧倒されましたが、私が面白かったのは、咲き誇るあじさいの真ん中にある「味噌なめ地蔵」です。

 

 空海の「金山寺味噌」など「味噌とお寺」の因縁は古いものがありますが、この矢田寺の場合は、お地蔵さんが美味しい味噌作りの秘伝を教えてくれた話とのことです。

 

 お地蔵さんの傍のあじさいがひときわ可憐に見えてきました。

 

味噌なめ地蔵とあじさいの写真はホームページの「いのしし日記」に掲載http://takeda.m-cast.jp/ 味噌なめ地蔵.jpg


日生 原発.jpg「日生の鹿久居島に中電の原発が?」・・もちろん今の話ではありません。42年前もの話しですが、実際にあった話です。

 

 1969年、中電が島根原発計画を変更して日生の鹿久居島に原発を建設する計画を発表しました。

 以来、漁民の反対総決起大会の開催、日生町と町議会の大論議・・さらに岡山県議会でも精力的な議論が行われています。

 その結果、19722月議会では、満場一致で「瀬戸内の原発立地反対」の意見書が採択されています。

 

 注目すべきはその意見書の内容です。意見書では、鹿久居島にとどまらず「内海水域の立地については、水域の環境保全の立場から特段の考慮が必要」と指摘しています。

 まさに「先見の明」の「意見書」ですが、当時の論戦に、1971年に県議会史上初めて誕生した2人の共産党県議団の論戦が大きな影響を与えていることをうかがい知ることが出来ます。

 

「原発反対で漁民総決起」を報じる岡山民報の写真はホームページの「いのしし日記」に掲載http://takeda.m-cast.jp/


山田 分別がれき.jpg16日(木)には日本共産党西部地区委員会のボランティアグループが、宮古市へ出発、19日(日)には、岡山地区のグループが帰岡・・・継続したボランティア活動が軌道に乗ってきました。

 

岡山地区のボランティアグループの活動で、現地で話題になっていたのが「大量のひまわりの種」でした。

現地の議員さんらが保育園に届けたところ「放射能が与える園児たちの将来が心配です。輝く園児たちの瞳を曇らせることがないようにするのは、私たちの責任です。ひまわりは、放射能を吸収する能力が抜群だといわれています。大切に育てますので、よろしくお伝えくだい」と喜んでもらえたとの報告が寄せられています。

 

この度、宮古から届いた「救援物資」項目で注目したのは「アイロンとミシン」です。

私たちが現地を訪れた頃は、ちょうど宮古の避難者の方が「避難所」から「仮設住宅」に移り始めたころでした。

 パックのお皿でなく、「カレーはカレー皿で食べたい」という声から、私たちの救援物資に「食器」が加わりました。その後には「カレンダー」が加わり、そして今回は「アイロンとミシン」が加わります・・・緩やかですが、人間としての生活の息づかいが聞こえてくるではありませんか。

 

 写真は山田町の瓦礫・・キチンと分別されていました


21日は、4月の県議選挙で初当選した氏平みほこさんの初質問でした。質問は、私のホームページに、再質問、再々質問とそれへの答弁は日本共産党県議団のホームページに掲載していますので、ご覧ください。

 

千葉県浦安市の液状化問題、津山市の米軍低空飛行による土蔵倒壊現場、地震学の西村先生からのレクチュア、深刻な医療・介護の現場など「現場主義に徹した論戦」を、再々質問まで進める奮闘ぶりは、「さすが大物」という感じで、傍聴席からも「さすが氏さん」の喝采が飛んでいました。

 

終わった後、ご本人は「再々質問がグチャグチャで」と悔やんでいましたが、そこは初登壇のこと・・これからが楽しみの「大物新人」の初舞台でした。

 

氏平さんの 氏平 初質問① 縮小.jpg質問原稿は「政策・見解」に掲載http://takeda.m-cast.jp/


尾崎貞子さん.jpg岡山市中区桜橋町に住む尾崎貞子さんの「100歳・お祝いの会」が開催されました。岡山医療生協の今日の礎を築いた方の一人であり、医療生協の当時の方々や、現在の主治医の先生らが集まりました。私は親子二代でお世話になっている関係もあり、参加させていただきました。

 

 写真で見ても判るように、100歳とは思えない顔の艶のよさとお元気さで、不謹慎かも知れませんが「色香」さえ感じさせられました。

主治医の先生も「先般、骨折をされたのが嘘のよう。今では薬を減らすのが医者の仕事となっています」と驚嘆されていました。

 

100歳と言えば、生まれた時代は「日韓併合」「大逆事件」と、日本が大陸への侵略の足場として朝鮮半島の植民地化を一気に進めていた時代・・そして長く苦しい戦争が終わったのが45歳・・となります。ただただ頭が下がる思いです。

 

「内外の話題を越えて 我は百歳」

 

参加者の挨拶の中で、ある方が紹介されていた句ですが、「話題」を「時代」と置き換えてもおかしくない尾崎貞子さんでした。

 

「内外の 時代を超えて 我は100歳」

 


前回のメルマガで「震災復興と地方自治」について触れました。あちこちでその議論をしている中で、「日本学術会議の提言」に出会うことができました。

 

学術会議が「東日本大震災被地域の復興に向けて―目標と7つ原則」 を発表しており、その7原則の中に極めて重要なことが盛り込まれているのです。

 

  その一つが、「日本国憲法の保障する生存権確立」の原則であり、もう一つが「市町村と住民を主体する計画策定」の原則 です。それは「復興の目的は住民の生存権保障なり」「復興システムは住民主体なり」という大原則です。

 

 今回の「復興基本法」のような上からの押し付けは妨げになると言っても言い過ぎではありません。

 まさしく・・非道は上より下り、正法は下にとどまる・・のです。

 


ハンセン病療養所の「将来構想」に関して、長島愛生園と光明園から、県議会に陳情があった関係もあり、16日愛生園に出向いて関係者と懇談をしました。

 

 入所者の平均年齢が82.13歳という中で、施設を社会的に開放しながらの将来構想をどう描き、どう実現するか・・依然として「偏見と差別」があるだけにどう進めていくか・・・難しい問題に直面していることは確かです。

 

議論をしながら、私が感じたのは、何よりも「入所者が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができる生活環境の確保」が何よりも最優先されるべきであり、「将来構想」も「ハンセン病基本法」のその立場を基本にすべきだと言うことでした。

 

県議会の議論も、その点をしっかり踏まえて議論してほしいと思います。

 

長島架橋を渡って帰る際、先日RSKの特集企画でも紹介されたハンセン詩人の島田等さんのことを思い出しました。深紅の赤旗で包まれた棺の中で眠る島田さんに対して、私は島田さんの「非転向」という詩を詠みあげたのを覚えています。

 

その一節を紹介します・・・・「将来構想」は、島田さんの見た夢のなかでどう映るのか・・それが問われているのでしょう。

 

愛する人から愛されても 理解されることのない悲しみは 私が選んだものだ

一人なら 孤独もない

生きつくし 生きつくしても 私を許さない私であり 

私を貪りつづける私である

 

眠ろう 月は惜しいが 眠ってこそ夢を見る(島田等「非転向」)

 

 


米軍低空飛行による土蔵倒壊事件が起きてから、選挙、震災と忙しさを理由に、現地に直接行けませんでしたが、先の6月2日は、前参議院議員の仁比そうへいさん、石井ひとみ県委員長、森脇・氏平両県議らに同行して現地視察に出かけました。

 

 倒壊した土蔵は、防衛局の調査が終わった後、取り壊されて平地になっていましたが、土蔵と密接していた家屋が壊れ、縁側の戸は開け閉めができない状況のままです。低空飛行による衝撃波の大きさを物語っています。

 被害を受けた井口さんのお母さんは「戦時中のB25を思い出す」と語っていますし、家族同様の愛犬も九死に一生をえて、数日間はショックを隠せない様子だったといいます。

 

 わが党調査団の大野民報編集長が,数箇所の目撃証言を基に作成した飛行コースを現場で確認しましたが、文字通り地表30メートル程度をマッハ単位の速度で飛んでいるのです。

 まさしく傍若無人です。しかも井口さん以外にも、病院や学校など「禁止区域」上空を飛んでいたという証言は数多く寄せられています。

 

 この問題では石井知事も現地を訪ねており、県議会でも「低空飛行の中止」の要求は、「全会一致」の課題です。今後は国に「低空飛行の中止」と「井口さんへの補償」を求める大きな運動にしていかねばと思っています。

 

 我が党としても今後、津山市以外の目撃情報の確認のために真庭市から美作市にかけての全体の調査、広島の防衛局への抗議の申し入れなどを計画しています。注目していただきたいと思います。

 写真は井口さん宅の裏の屋根。爆風で膨れ上がっています。

 

  裏の屋根.jpg


兎に角、傘をよく忘れることが多くなり、「いよいよ痴呆症か」と思っていますと、ある本の中に、気休めのような解説が披露されていました。

 

 日本では毎年、傘が一億本以上が買われるそうです。傘の忘れ物が多いのがその要因とのことだそうです。

 では、何故日本人は傘の忘れ物が多いのか・・それは日本の雨の降り方に要因があるのだそうです。以下解説によれば・・・

「ロンドンは傘がなくても歩ける霧雨、熱帯のスコールは傘が役立たず。日本の雨は傘がないと濡れるが、その雨が日替わり、週替わり・・」

 

 傘の忘れ物の多さを、日本の気象条件にしてくれており、気休めにはなるのですが、今日もまたコンビニで今月で何本目かの傘を買う自分は、やはり物忘れが多くなったのが原因だと思うのですが・・。


知事の提案説明を読ませていただいた。20年間、議場で聞いていた時とは異なり、議場の外でゆっくり読んでいると、文章の奥に「人」が浮かんでくるのには驚かされました。

担当部局の奮闘に敬意を表する内容も多い「提案説明」であることは間違いありません。

 

しかし、一方で、全体の流れに違和感を感ぜざるを得ないのも確かです。岡山県の方向が定まらないままの「提案説明」の感がするのです。

 

大震災の救援・復興と岡山県の防災計画の見直し、震災後の景気の中長期の見通し、岡山県の行財政改革と国の行財政の動向・・・全てが未だ不透明であるにもかかわらず、知事の提案説明では「全てが前のめり」で、挙句の果ては、いったんトーンダウンしていた「道州制」まで浮上してきています。

 

私は、「立ち止まれ」とか「慌てるな」とか言っている訳ではありません。また「夢づくり」というネーミングが悪いと言っているのでもないのです。

県政を取り巻く様々な問題を、もっと本質的にキチンと議論すべきだ、と言っているのです。

 

その本質的な議論の前では、今回の提案説明は余りにも軽すぎると思っているのは、私だけではないと思います。


我が党の中央委員会が13日、「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」とする提言を発表し、国民的討論と合意よびかけました。

 

発表の際の記者会見で志位委員長は、まずは政府が「原発からの撤退の政治的決断」を行う必要があると強調。撤退にかける期間やエネルギー政策については国民的討論を踏まえて決めるべきだが、党としては「5~10年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定すること」を提案する・・・・とのべました

 

私のホームページにその全文を掲載しています。ご覧いただき、いろんな角度から議論していただくことを期待しています。

 

 武田ホームページ http://takeda.m-cast.jp/index.html


壊れた線路.jpg「非道は上より下り、正法は下にとどまる」・・・お上は「極悪非道」だが、庶民はまっとうに生きている・・ペルーが開国を迫った幕末の頃、東北の仙台藩・・南部藩の636カ村が一斉蜂起し勝利した大一揆の「合言葉」です。地方自治・・住民自治の原点を表すものとして知られています。

 

国会で議論されている「東日本大震災復興基本法案」に我が党が反対しているのも、この「地方自治」の視点が欠落しているからです。

短期間ですが被災地に行ってみてあらためて痛感したことは、「復興」の基本は「被災者の生活支援」です。そして、その道筋はあくまで「被災者」の声を積み上げ、地方自治体が主体にならなければなりません。極端にいえば「復興は地方が、国はその財政保障を」が一番ベストではないでしょうか。

 

今回の法案は、その「被災者の生活再建」が曖昧であり、「地方は国の復興計画のもとで計画をつくる」こととされているのです。さらに、復興を「民間大手」の儲けの追求のための「特区」に委ねる方策も問題ではないでしょうか。

 

非道は上より下り、正法は下にとどまる・・「復興」はあくまで「正法がとどまる」下(地方自治体)が推進しなくてはなりません。

 

鉄道の線路が崩れ落ちている山田町の写真

 

 

 

 


11日、革新懇主催の原発学習会「原子力発電のしくみと放射線被曝問題」の学習会が開催されました。講師は岡山大学副学長の青山勲先生です。

 

 福島の原発事故を踏まえ、原発政策の転換を求める世論と運動が盛り上がる中、原発の仕組みそのものとそれをコントロールする科学技術問題が大きな関心を呼んでいます。

 

 社会科学や政治の分野からだけ「原発問題」を捉えがちな私たちにとって、青山先生の講義は、「科学者の立場」から原発の問題点をとらえてもので、新鮮で有意義な講演でした。

 

 例えば、福島原発事故の直後から外気に「ヨウ素」以外の「セシウム」「ストロンチウム」「コバルト」などが検出されており、これは科学者が見れば「核分裂生成物の流出」以外に考えられない、として対応しなかったは政府の責任を指摘しました。

 

 また、原子炉事故を防止する技術は「止める」「冷やす」「閉じ込める」の「3原則」以外になく、その技術がいまだ未確立であることを指摘されました。

 

 地震と津波はこの「3原則」を根底から崩壊させます。あらためて「原発ゼロ」への政策転換を国に求めることの大切さを痛感した次第です。 救援物資.jpg


物資輸送出発式.jpg3.11大震災から3ヶ月後の611日、岡山市新京橋にある日本共産党岡山県委員会の事務所は、岩手県宮古市への救援活動で大忙しでした。

 前日の10日(木)には昼過ぎに第2次ボランティア隊が宮古から帰岡、夕方7時には、2トンワイドのトラックが、救援物資を積み込んで宮古へ出発、11日の夕方には第3次のボランティア隊が宮古へ出発・・。

 

 お米、食器、自転車、衣類などの救援物資に混じって今回の話題は「カレンダー」です。二日前急に現地から「仮設の人がカレンダーがほしいと言っている」との連絡があり、急きょカレンダー300セットを揃えました。「顔が見え、バトンがつながるボランティア」の本領発揮というところでしょうか。

 

 避難所から仮設に移った人が「カレンダー」が無いことに気付き、「カレンダーがほしいな」と思う・・その光景を想像してみました・・・被災者の方々はそのカレンダーに何を書き込むのでしょうか。

 肉親が無くなった命日なのか、子どもや孫の誕生日なのか、身重な娘の出産の予定日なのか、ハローワークに行く日なのか、新しい会社の面接の日なのか、久しぶりにデーサービスに行く日なのか・・・

 

 それを想像することは、復興に希望を託す被災地のみなさんに寄り添うことになるのではないでしょうか。

 


ものまねタレントのコロッケさんが先月27日、宮古市の南、釜石の北に位置する大槌町を訪ねています。300人弱の方々が避難している体育館で、コロッケさんは得意とする美川憲一や田原俊彦らのものまねを披露しています。

 参加者の方の話によれば、避難所のみなさんは久しぶりに大笑いし、すばらしい集いになったそうです。

 

 コロッケさんの演技が終わった後、あるお年寄りが、お皿を差し出してこう言ったそうです・・「コロッケはまだですか」・・・・。

 

 この話、普通なら「お笑い」で終わるのですが、私は、この話を聞いて「このお年よりは、いつから暖かいコロッケを食べていないんだろうか」「本当にコロッケが欲しかったんだろうな」と想像しました。

 そうすると、笑いとともに涙が溢れてきて、久しぶりに「笑い泣き」をしてしまいました。

 

岩手県のシンボルの一つが盛岡地方裁判所の庭にある「石割桜」です。「南部の桜は岩を割って咲く」といわれる「石割桜」・・その写真を最後に送ります・ 石割桜.jpg


宮古地区の復興を考える際、一つは、「避難所から仮設に移動した人々の生活支援」、もう一つは「漁業の復興」が決定的だと思いました。・・

宮古地区の漁協は、全魚連の副会長、県漁連の会長を出しているように、全国屈指の漁業地区であり、それは宮古地区の「産業の柱」であり、同時に「雇用の核」でもあります。

 

避難所や仮設で住む人たちも「漁業」を生業にしている人が多く、「漁業の復興」なくして生活再建もないといっても言いすぎではありません。

 

宮古港の市場が再開される等明るい話題も聞こえてきますが、まだまだ見通しは立っていません。

 

崩れ去った田老漁協の事務所の横に真っ赤な旗が立てられていました。「田老漁協」の旗でした。風もない時でしたので、旗は静かに垂れているだけでしたが、私には、その「赤色」の「物静かさ」が、海に生きる人々の「無口な心意気」に感じられてなりませんでした。 赤い旗.jpg


5日、県議団と私のグループ以外に、別のグループが車で到着しました。車の中には、電動自転車が載っており、それを山田町の日本共産党町議の佐藤さんに届けるのが、私たちの仕事の一つでした。

 

 この仕事は、第1次ボランティアの須増す・石村グループが、車が運転できない佐藤町議に約束したもので、岡山民報の大野編集長が提供してくれたものです。

 

 重度の障害者の施設を運営しながら町議を努める佐藤さんは、自転車を見て大喜びでした。こうしたことが出来るのも、いま私たちが取り組んでいる「顔が見え、バトンがつながるボランティア」の成果だと喜び合いました。 電動自転車.jpg


今回私たちが届けた救援物資の大半は、「食器」と「お米」でした。「避難所」から「仮設」に移り、それぞれの家族で食事をつくることになった結果、「食器」と「お米」があらためて必要になってきた、との宮古市の共産党議員さんからの要望でした。

 そういう点に気付く現地の議員さんの「現場主義」の感覚に感心させられたのですが、実際に仮設を訪問しながら、あらためて「住足りて 食の不安」を感じさせられました。

 

 「カレーのお皿でカレーを食べたい」「刺身は大皿で・・」・・この「当たり前だが大切な要望」に応え、私たちは、さらに大量のお皿とお米を今週末に現地に送り届ける準備をしています。 物資.jpg


仮設.jpg今回宮古地区には、前記の山口をはじめ中国ブロックから多くのボランティアが交代で参加しています。

 

宮古地区での岡山のボランティアの仕事は、「避難所」から移った「仮設住宅」の方々の声を聞き取りすることでした。

私たちは、現在の宮古市の北に位置する岩泉町にある仮設住宅(三か所140戸)を訪ねて、その実情や苦労、要望などを聞く仕事に当たりました。地元の共産党支部の方と組みを組んで140戸全部を回りました。

 予想を裏切って驚かされたのは、「仮設」に入っている多くの方が、「全国のみなさんによくやっていただき、感謝しています。特に要望はありません」とお礼を言われたことでした。

 

 東北人の慎ましやかさが要因なのかと最初は思いましたが、それだけではないようです。

やはり2カ月近い避難所生活から仮設入居に移った安心感、安定感と同時に、ここ岩泉町に限っては、「仮設住宅」も申し込みより多めに建設し、町職員がこまめな訪問活動と生活支援をしていることが大きな効果を挙げていると思いました。

やはり、復興は住民に身近な自治体の力が決定的なのです。

 

そうした中でも、話し込むと具体的で切実な要望がたくさん出されました。「仮設は満足」という方も「子どもの保育園も仮設で狭い。広々とした所で遊ばせてほしい」「漁業を再興して漁師に戻りたい」「仮設の一室を借りて美容院ができないか」「ゲートボール場を復活させてほしい」・・・・出された要望はすべて「明日」につながるものばかりなのです。話していて、被災者の方がまぶしく感じられてきました。

 


散髪.jpg以下、宮古地区での活動報告をします。私の知る範囲では「宮古地区」は、被災地の中では復興の進んでいる地域かと思います。ここで報告するような事態ではない、深刻な状況の地域が多いかと思いますが、一方で限定的でも復興への兆しが見えている地域があることも確かです。何よりも、どの地域でも被災者の皆さんの「復興への思い」は普遍だと思います。以下の報告で、読者の皆さんがそれを感じ取っていただければと思います。

 

<武田英夫の被災地報告・・その5・・お化粧をして買い物に行きたい>

 

 私たちが宮古市に着く前に、山口県の共産党が派遣した「散髪カー」が大活躍をしていました。「散髪カー」は、避難所に出向き大勢の方の散髪をしています。

 

散髪を終えた30代の女性の感想が寄せられています。

 

 ・・311日で全てを失い、涙まで枯れてしまいました。この間、自分の顔を鏡で見ることもありませんでした。散髪台に座って見た鏡には「情けない顔」の自分が映っていました。しかし、髪を綺麗に切ってもらうと、明るい本来の私の顔が映っていました。鏡の中の私は、「まだまだ頑張れる」と言っていました。3ヶ月化粧もしなかったけれど、口紅をひいて買い物に行く気持ちが生まれていました。本当にありがとうございました・・・

 


 山田町では、巨大な堤防が倒れていました。それはまるで積み木細工のように壊れているのです。私は津波の恐ろしさに、背筋が冷たくなってくるのを禁じることはできませんでした。

 

 私たちを見かけた近くで片づけをしていた方がこう言われました・・結局人間が、自分を過信しないことですよ。自然を恐れることですよ。津波が来ても堤防で守れると信じていたのが間違い。逃げるのが一番なんですよ・・。

 

山田町の倒れた堤防の写真はホームページの「いのしし日記」に掲載 http://takeda.m-cast.jp/index.html

 

(お断り)

今回の「いのしし日記」は、岩手県宮古地域からの被災状況の報告が中心でした。次回からは、私たちのボランティアを中心に報告します。乞うご期待。 堤防の倒壊.jpg


過去の津波の教訓から「万里の長城」のようなスーパー堤防を築いた宮古市田老地区。漁協の建物の横にある山の崖に明治39年と昭和8年の大津波の高さの表示板があります。

 

 今回の津波は、その表示板を壊して押し寄せています。そのさらに10メートル高い津波だったのでしょう。

 

 高い堤防だけでいのちは守れないのなら、どうすればよいのか・・・私にも結論はでていません。 田老の標識.jpg


山田駅.jpg宮古市の南に位置する山田町の山田駅。圧倒的なエネルギーを誇示する津波に襲われ、周囲が流れ去っても耐えぬいた駅舎の上に、列車の車輪の形をした大きな時計が残っていました。

時計は、地震発生から40分後の午後3時25分を指したまま止まっていました。地震から津波までの40分間に「助かった命」と「流された命」・・・私は、「時計」が時を刻むのを止める瞬間まで見ていた光景を想像し、それと向きあうことはできませんでした。


6月3日、私は県議団と一緒に、日本共産党のボランティアの一員として岩手県の宮古市へ行きました。

新聞やテレビで何度となく取り上げられた「スーパー堤防」のある宮古市田老地区、そして山田町の津波被害の現場の凄まじさに、私は言葉を失い、ただ立ち尽くすのみでした。

 

しかし、初めての地区であり、初めての津波被災現場にもかかわらず・・・この光景はどこかで見たことがあるのです・・・「この光景は何だろうか」「何処で見たのだろうか」「いつ見たのだろうか」・・それは、1945629日の岡山空襲で焼け野が原となった岡山市街地の光景でした。

 

宮古の被災地で私が最初に見たものは、「戦禍の跡」そのものだったのです。 スーパー堤防の上で.jpg


 日本共産党岡山県委員会が岩手県宮古市にベースキャンプを置き、継続的な救援活動を進めていることは既にお知らせしている通りですが、私も3日から6日にかけて、宮古市に行ってきます。

 森脇・氏平両県議が視察に出向く便に動向するものですが、ボランティア活動を主にしながら、可能なら行政視察も行えたらと思っています。

 

 宮古市は養殖あわびの生産量が全国トップを誇る水産の街です。しかし、3月11日には40.5メートルという異常な津波の高さを記録している地区でもあります。

 

 私の仕事は、ボランティアとともに、今後の長期間の救援活動の方向を見定めて来ることもあります。

 「頑張ってきます」という私に、第1次派遣の須増さん、石村さんから「あまり熱くならないように。被災者に熱く迫るほど迷惑なことはない」と諭されました。

「被災者に寄り添うボランティア」・・学ばされ励まされるのは私たちの方なのでしょう。

  中国地方からの救援物資.jpg


 岡山県はこの3月に「地域防災計画」見直しをしていますが、さらに今回の東日本大震災のような「三連動地震」を想定した被害想定に見直し、それに基づく防災計画への見直しの作業に入っています。

 それは当然なことであり、早急に見直しをしてほしいと思うのですが、これまでの「地域防災計画(震災対策編)」を見ていてひとつ大事なことが気になったままです。

 

 それは被害想定の部分ですが、国の専門調査会の想定と県の想定が大きく食い違っていることです。例えば、液状化被害については、国は「揺れ」と「液状化」の合計で約5100棟、岡山県は8819棟としています。

 また、津波の想定は、国は800棟、県は「被害想定をしていない」となっているのです。

 

 その食い違いの要因は何処にあるのか、も問題ですが、私は、大規模地震の被害想定は一義的には「国の責任」と考えています。関西から九州に至るような大規模な連動地震の想定を県だけでできる訳もありません。

 

 今回の地震は「地域の絆の大切さ」「地方自治の役割の重要さ」を浮き彫りにしていますが、しかし、逆に、「地震・津波・原発・風評」の「4重被害」は、「国の責任」「公共の役割」を際立たせていることも確かです。

 

 防災計画の見直しに当たり、そこの基本の議論が大切だと思えてなりません。

  防災計画.jpg


日本共産党中央委員会が、原発問題に関してこの間発表した二つの文書を持って、県当局や各団体に届ける活動を石井ひとみ県委員長や県議団を先頭に展開しています。

 6月1日の県当局、2日の市長会・町村長会には、私も同行しました。二つの文書というのは、一つは「復興への希望がもてる施策、原発からの撤退をもとめる・・大震災・原発災害にあたっての提言(第2次)」(志位和夫委員長)、もう一つは「『科学の目』で原発災害を考える」(社会科学研究所所長 不破哲三)。

 

 どちらも「原発の危険性を明らかにするとともに、期限を切って原発を廃止する提案」をした文書で、特に、不破さんのものは、マスコミでも大きく取り上げられています。

 

 ぜひご一読ください。文書は、私のホームページの「震災復興支援コーナー」から「日本共産党中央委員会」に入れば見ることができます http://takeda.m-cast.jp/ 原発申し入れ.jpg


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