9月議会の最終日、氏平三穂子県議が初めての「討論」に立ちました。
討論は、今議会に提出されている「議案13件、発議案6件にすべて賛成」の態度表明とともに、「請願1件、陳情6件」について、委員長報告どおりに決することに異議を唱えるものです。
6月議会の初質問についても「新人らしからぬ堂々とした論戦」との評価がありましたが、今回の「初討論」も中々のものでした。
討論の全文は「政策・見解」に掲載していますので、ご覧ください。 http://takeda.m-cast.jp/
9月議会の最終日、氏平三穂子県議が初めての「討論」に立ちました。
討論は、今議会に提出されている「議案13件、発議案6件にすべて賛成」の態度表明とともに、「請願1件、陳情6件」について、委員長報告どおりに決することに異議を唱えるものです。
6月議会の初質問についても「新人らしからぬ堂々とした論戦」との評価がありましたが、今回の「初討論」も中々のものでした。
討論の全文は「政策・見解」に掲載していますので、ご覧ください。 http://takeda.m-cast.jp/
「県南で米軍機が低空飛行」・・・日本共産党の事務所にたくさんの情報が寄せられてきました。
倉敷市宮前の保育園の方から「轟音で子どもたちも目が覚めたほど」。早島のコンベックス周辺からも「何か落ちて来るのかと不安に」。下中野の方からは「ものすごい音がして家を飛び出した」。新京橋の日本共産党事務所にいたメンバーは「轟音がして外に出た。真上を通過したよう」。平井の人からは「家の北側をから見えた」・・・・・
以上の情報を集めて地図に書き込むと、倉敷から岡山への一直線のコースが出てきます。
低空飛行に関する日米合意のポイントは「高度」と「病院・学校への配慮」です。「高度」に関してはさらに事実確認が必要ですが、「恐怖を感じる轟音」が聞こえる「高度」であったことは確かで、コースは「病院、学校」の上空を飛んでいることは明らかです。
我が党としては、県議団、岡山・倉敷・備前の各議員団がさっそく状況把握と当局への申し入れを行っています。県当局も、防衛局の状況報告をし、米軍かどうか問い合わせを中とのこと。
防衛局は、どういう返事をしてくるのか・・・今回も、「米軍を信じている」と米軍情報を鵜呑みにするのか、それとも「保育園の子どもたちの声」を信じるのか・・・どの国の防衛省なのかが問われています。
最後に、早島で目撃した方の報告と写真を紹介します。
「早島の流通センター上空を飛んでいるのを目撃しました。14時44分に携帯で 写真を撮りましたが、もうそのときには写真上では点にしか写りませんでした。音の方が機体より後ろで鳴っていました」
10月30日、岡山運動公園で恒例の「赤旗祭り」が開催されます。楽しい文化行事や盛り沢山のバザーなどが毎回好評で、数千人の人で賑わいます。
同時に、何といっても今年のテーマは、「東北の救援・復興」です。そのため「救援・復興コーナー」を設けますし、さらに記念講演では、テレビにもよく登場している衆議院議員・吉井英勝さんが弁士として来岡することです。
吉井さんは、我が党の原発・エネルギー問題の責任者で、この間一貫して、原発の危険性を国会で追及してきた政治家です。特に、原発・津波列島での原発の危険性を指摘し続け、炉心溶融の可能性も先見的に問題提起をしてきたことで知られています。
聞きごたえのある話です。ぜひお誘い合わせのうえ、ご参加ください。
9月12日日本科学者会議岡山支部の9月例会に参加してきました。テーマは、「天気予報・気候予測から考えるカオスと複雑系」で、講師は香川大学・教育学部准教授・寺尾徹氏 です。「カオス理論」は予測できない複雑な様子を示す現象を扱う理論とのことです。
寺尾氏には、私が昨年取り組んだ「苫田ダム5年の検証」の際に、「岡山の気象」というテーマで委託研究をしていただいた関係もあり、興味深く聞かせてもらいました。
同時に、一つの問題意識もありました。
実は私は、台風12号のコースや速度がもっと正確に把握されておれば、岡山県下のダムの放流もさらに的確になっていたのっではないか、と思っています。台風12号が当初の予測と異なるコースと速度で進んだ点に関してその要因に関して質問したいと思ったからです。
現在進行形の台風15号も、複雑なコースを進んでいます。もっと正確な予測が可能なら、対策も機敏に講じられるに違いありません。
私には、「カオス理論」も「複雑系理論」もよく理解できないものがありますが、寺尾先生の結論は、「夏の台風は予測できない複雑なコースを歩む」という認識で万全の対策を講じるべし、ということでした。
昨日から、台風の襲来備えて、防災服や長靴の準備をしながら、あらためて「台風の予報とカオス理論」に頭を悩ましているところです。
日本共産党岡山県委員会は、引き続き岩手県宮古市へのボランティア派遣を継続しています。先日、この9日~11日にかけて宮古に行っていたグループから現地の様子を聞きました。
岩手県では、8月末で被災者全員が避難所を出て、仮設住宅に移ったとの報道がありましたが、今回のグループもその仮設住宅を訪問し、要望を聞いたりする活動をしてきました。
その中では、仮設住宅の部屋が狭く、部屋数も少ないこと、ビスが打てずカーテンがつけれないためプライバシーもない状態が続いていること、さらに、既に冬の生活への不安がでているようで、ひさしが無い仮設住宅では、戸が外開きのため雪が積もれば戸が開かなくなる心配をはじめ、様々な声が寄せられていました。
被災地はこれから初めての冬を迎え、仮設の生活も長期戦になろうとしています。「被災者の生活再建なくして復興なし」・・その象徴が住宅問題です。
私たちは、年内12月、雪で私たちが動くのが危険になる頃まで、支援のボランティアを派遣する予定です。私も、年内にもう一度現地に行こうと思っています。
この間私は「いのしし日記」で「被災者の生活再建こそ真の復興の道」と訴えてきました。その点に関して、確固たる指摘をしている「声明」に出会いました。日本弁護士連合会の宇都宮健児会長の声明です。
宇都宮会長は次のように指摘されています。
「第1に、復旧・復興に当たって一人ひとりの人間を救済するという観点を持つことである。東日本大震災復興構想会議の提言や政府の復興基本方針では、この基本視点が欠落している。各地域の復興計画においても、一人ひとりの健康や生活再建について十分な配慮がなされていない。とりわけ、高齢者、障がい者、外国人、子ども及び女性等のいわゆる災害弱者は、復興過程で置き去りにされる危険が高く、特段の配慮が必要である。復興の基本は被災者の人権の回復であり、あらゆる政策において「人間の復興」が実現されることが必要である」
私はこの間、岩手の被災地を歩きながら、政府や岩手県が高速道路や箱モノ建設には熱心だが、崩壊した県立病院の再建という重要課題さえ放棄したままの実態を見てきました。そして、復興には「二つの道の対決」があると痛感してきました。
震災に乗じてまたまた大型開発や箱モノ行政を復活させようとする道なのか、いまこそ被災者の生活再建、農業・漁業・中小企業の「生業の再建」の道なのか・・・この問題は、阪神大震災でも問われた問題でした・・日弁連会長の声明の確固さには勇気づけられ、深い感動を覚えた次第です。
我が党は、日本国民の生活のすべてをアメリカに売りわたすTPPには反対の態度を取り、私も議員最後の2月議会質問で「日本の国民皆保険制度をアメリカの保険会社に売り渡すようなTPPには反対」と指摘しました。
今回の森脇県議の質問は、「TPPが地方自治体の公共事業の入札までアメリカ資本の参入を許し、地域の土木・建設業者から仕事を奪うもの」と指摘しました。
13日の本会議質問で森脇県議は、米軍機の低空飛行問題を取り上げましたが、今回は、土蔵崩壊問題ではなく、津山市が調査した市内の学校や保育園からの実態を踏まえた質問でした。
森脇県議は、学校や保育園の上空を低空で飛んだ米軍機は「学校や病院に配慮を払う」として日米合意違反であることを指摘し、知事の認識を問うものでした。
これに対して知事は「日米合意」に関する判断は避けたものの、子どもたちが米軍機に危機感を感じるような事態が生じたことに「遺憾」の意思を表明しました。
これは極めて重要な態度表明です。中四国防衛局は、低空飛行について「米軍が違反をしていないと言っている以上、米軍を信じている」との態度です。知事は、「津山市の子どもたちからの報告を受けとめる」という態度ですから、防衛局の態度とは明確に異なります。これはこれからの議論に極めて重要な意味を持つ態度であり、知事の見解は評価できるものです。
調査もせずに「米軍情報を信じる」として、津山市の子どもたちの声を聞こうとさえしない防衛局の態度は、骨の髄まで米軍に追随している日本の防衛当局の姿勢を明らかにするものです。
森脇県議が使用した低空飛行のパネルは「政策・見解」に掲載http://takeda.m-cast.jp/
まず、訂正から。
昨日配信の「いのしし日記」に「国男」「国雄」とかなっていました。正確には「國男」です。文書では「国男」と書いている場合もありますのでそれはお許しいただきたいと思います。
さらに、現在も大活躍中のノンフィクション作家の「柳田邦男」と間違えている方もおられるようですので、ご注意ください。柳田國男は「民俗学の祖」といわれている人物です。
「遠野物語」は柳田國男が今から約100年前、遠野に伝わる昔話を集めたもので「日本人の心のふる里を考えるうえで手がかりになると言われています。
「遠野物語」は「文語体」なので読みにくく、「遠野に行くまでにはぜひ」と思っていましたが、急がしさを理由に途中止めになってしまいました。
それでもせっかく遠野に行ったのですから「水の精霊」といわれる遠野名物の「河童」の人形を孫たちに買って帰りました。
12日午後3時ごろ、盛岡のから電話が伝わってきました。応援に入っていた鈴木努選対の小笠原事務局長からの歓喜の声です。
「県議選挙盛岡選挙区(定数10)」から斉藤信さん見事当選」。続いて「一関選挙区(定数5)からも県議初当選」・・さらに続いて「陸前高田市議選(定数18)で2位・3位・4位で全員当選」「山田町でも2位当選」「釜石でも議席確保」・・・・。
とりわけ感慨深いのは、陸前高田での勝利です。我が党の及川一郎市議は、最後まで津波からの避難を誘導する仕事をし、とうとう津波にのみ込まれ他界しました。及川さんをはじめ献身的な我が党議員の奮闘ぶりは、街中の支持と共感となって広がっていました。
いまあらためて陸前高田の一本松の写真を見ながら、及川さんの遺志を継いで救援・復興に取り組む決意を新たにしているところです。合掌。

陸前高田市に出かけた際、遠野市に立ち寄りました。もちろん「ついで」ではなく、「遠野市自体」に大切な用事があったからです。
一つは、遠野市が大震災の際に沿岸部の被災者の後方支援センターの役割を果たしたこと、二つは、やはり柳田國男の「遠野物語」です。
遠野市は、震災後いち早く「後方支援センター」を立ち上げ、沿岸部の「後方支援センター」として、全国から集まる公的機関の支援やボランティアの「後方基地」の役割を果たしました。「ボランティア数13000人」という数字が、それを物語っています。
遠野への感心のもう一つである「遠野物語」の柳田國男ですが、このテーマも震災との関連です。今から100年前、柳田國男は「遠野物語」で「日本人の魂の故郷」を蘇らせました。彼は、明治の三陸大津波や関東大震災を目の当たりにしながら「政府の復興策が物質の復興だけで、精神生活の復興は計画さえ立っていない」と批判しています。
柳田國男の意見を現代風に言えば「箱物中心の復興ではなく、被災者の生活再建こそが真の復興」ということです。
遠野後方センターの奮闘ぶりには、柳田國男の思想が生きていると感じました。
写真は遠野市役所
/
9月5日から9月定例県議会が始まっています。議会開会前直前の台風豪雨の被害対策、半年前の東北大震災と原発・放射能問題、野田新内閣への対応など重要な課題が山積しています。
我が党からは、森脇久紀団長が質問に立ちます。13日(火)午前10時30分ごろから。
なお、8月29日、「岡山県夢づくりプラン」(素案)について議論した全員協議会での森脇県議の議論を「政策・見解」に掲載しています。鋭い切り口での議論です。ご覧ください。
全員協議会での森脇県議の質問と知事答弁は「政策・見解」へ http://takeda.m-cast.jp/
とにかく凄い人数でした。事務局が300人程度だったとのことですが、倍の650人も集まったのです。「原発ゼロ」への輪の広がりを実感させられるものでした。
内容も盛りだくさんでした。写真家の郡山総一郎さんが、自ら放射能計測器を持ちながら「フクシマ」を撮り続けた写真を紹介しながら「原発・放射能」の危険性を訴えてくれましたし、福島から転居して来られた方の報告は故郷から離れて暮らすことの困難さと,新しい生活場所での「絆」の大切さを教えてくれました。
さらに集会では「原発ゼロと言っても」・・と不安を抱く人のための「エネルギー転換をどうすすめるか」という科学者会議の報告もあり、みんなで「原発ゼロ」への確信を持って輪を広げることを確認しました。
パレードの写真

春はやはり残酷かもしれない。気仙沼の避難所、母を亡くした子が、「ママ、会えるといいですね」と帳面に落書きしたまま、眠っている。黙礼。涙。
福島市在住の詩人・和合亮一さんの詩集「詩の黙礼」の出だしの一節です。和合亮一は、山陽新聞にも「明けない夜はない。福島からあなたへ」を随時掲載しており、興味深い詩人でしたので、被災地で目を通しました。
二つほど紹介します。
福島県内の公立小中学校における教員採用試験は、本年は実施しないと本日発表。子どもが約3700人ほど県外へ避難。1000クラスの減少が見込まれたとのこと。子どもも先生も減っていく。出会うはずだった子どもたちと先生たちが、一番辛い。ここまで奪われてしまうものなのか、人間は原子力に。
土を返して下さい。幼い頃、友達と外で、楽しい喧嘩をして 口の中に 砂が入った 僕もチクショウ 友達も チクショウ 返して下さい 幼い日の 悔しさを
和合亮一は詩集の中で、宮澤賢治を紹介しています・・・・「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ」(宮澤賢治)
賢治のいう「人と地球にとるべき形」は、「イーハトーブ」なのでしょう。それは「原発に依存しない社会」に違いありません。
3.11から半年、そして原発再稼働を掲げる野田内閣の誕生・・こうした情勢の中、この11日に「原発ゼロをめざす県民集会」が、同実行委員会の主催で開催されます。
企画の目玉は何と言っても郡山総一郎さんの講演「フクシマ・残された故郷は何を語るのか」です。郡山総一郎さんは「イラク人質事件」で知られたフォトジャーナリストですが、今回も福島原発の現場に取材に出かけて撮った写真を持参して報告してくれます。
日本共産党は「原発からの撤退で一致する勢力の共同」めざし、実行委員会の一員として成功に全力を挙げています。11日午後1時30分から岡山市北区県立美術館前の「総合福祉会館」。集会後パレードも計画しています。
紀伊半島での深刻な台風水害の実態に心を痛めながら、岡山でも全県に被害をもたらした被害の実態を視て回っています。この三日間では、久々井、砂川流域、岡山の東西中島・・。さらに、県下各地の地方議員からも被害実態についての連絡が入ってきます。
確かに、紀伊半島のような深刻な事態には至っていませんが、あと少しで甚大な被害に至った可能性のある地域もたくさんあります。既に問題になっているダムの放流問題や情報の収集・伝達問題、避難指示・避難勧告問題などのシステムの問題も明らかになっています。
同時に、私たちの日常生活の周囲にある基盤が脆弱になっている問題、人間の体に例えれば「毛細血管」に当たる部分の脆弱さが被害につながっていることも指摘されています。地震・津波対策とあわせて、風水害対策ももっと全面的な再検討が必要だと痛感しました。
マスコミ報道で知れ渡っている高田松原の「希望の一本松」は、ぜひこの目で見ておかねばならない、と思い、陸前高田に出かけました。
峠越えで陸前高田に入ってすぐ目に入った光景は、6月に宮古市の田老地区や山田町で見た「戦禍の焼け野が原」と同じ光景です。
違っているのは、瓦礫の山が高く積まれていること、その間を動く重機の音と土煙、そして乾いた臭い・・です。
瓦礫の山を縫うように走って海岸に出ると、一本だけ松ノ木がそびえてっています。白砂青松で知られた数千本の松林が3.11の大津波で一瞬のうちになぎ倒されたのです。
一本だけ残った「ど根性松」も、塩分過多で病気になり、今は薬で巻かれ痛々しい限りです。
近世以来、数々の津波にも耐えてきた高田松原の松林を壊滅状態にした今回の津波の甚大さは想像を絶するものがあります。
それでも耐えた一本松は、「希望の一本松」ではありますが、現地では「再生不可能」の情報もあり、心配でなりません。
(瓦礫の山と一本松の写真)

「復興選挙」の支援のために盆前から岩手に出かけており、3週間ぶりに岡山へ帰ってきました。ところがこちらも台風のど真ん中でかつて無い規模の避難指示、避難勧告が・・。
風雨が治まった4日、「台風を連れて帰ってきたのか」とアチコチで叱られながら、宝伝、正儀、新などを視て回りました。
関係者の努力もあり、甚大な被害には及んでいないと把握していますが、全県的な規模での大規模な風水害の被害として、状況把握、情報伝達、避難システム等キチンと総括する必要があるのではないかと思っています。
明日からの9月議会が始まります。地震・津波の議論とあわせて、その点の議論も期待したいものです。
(宝伝のため池決壊の写真)
