地域行事の最近のブログ記事

裸祭りから一週間後の26日、観音院の後祭り、そして神崎の梅祭りに孫を連れて出かけました。「西大寺会陽が終われば備前平野に春が来る」と言われますが、かなりの寒さには少し震え上がりました。

 

私が小さい頃には(50年も前になるのには我ながら驚きますが)、今の公民館がある一帯が広大な「向洲」と呼ばれる地域で、そこにギッシリと「サーカス」や「屋台」が立ち並び、その中の「見世物小屋」には子ども心に好奇心がそそられたものでした。

 

観音院の境内にも出店が並び、「寅さんの映画」に出てくるような口上で「よってらっしゃい、みてらっしゃい」とお客を笑わせながら商売する店もたくさんありました。

 

向洲には農機具販売の店もたくさん並んでいたのを思い出します。備前平野から千町平野にかけての農村地区では、麦の中耕や田あぜの整備などが始まる時期で、「農事はじめ」として農機具が出ていたのでしょうか。その年の豊作祈願とあわせてたくさんの農機具が売れていたのでしょう。

 

往時の勢いは消えてはいますが、その雰囲気を漂わす郷土の祭りは、なかなかよいものです。 後祭り.jpg


昼からの雪が日陰に積もり、車のガラスが凍りつくような寒さのなか、今年も西大寺会陽・裸祭りに参加しました。

 

 けっして意地を張っている訳ではなく、ワッショイワッショイと裸群の中にいる時は、少々寒いくらいがよく、暖かいと体がふやけてくるような感じがするので、昨日くらいが丁度良い寒さだったのかもしれません。

 

 今年も、コープ西大寺診療所から100人以上の皆さん参加。「武田グループ」の提灯を先頭に、最前列で仁王門をくぐらせていただきました。

 「今日裸で出れることに感謝し、来年も元気で裸になれることを祈って」・・・これが私の裸祭りに出る思いであり、出発式でいつも言わせてもらいます。参加者の中にも「子どもの合格祈願」「奥さんの安産祈願」などのそれぞれの思いで参加している方も多くいます。

 

 私たちのグループの最高齢は75歳のKさんです。帰りに「来年も来ます」と言われるので、「私も、Kさんが到達する年齢まで参加します」と固い握手をしました。

  最前列で.jpg


春は名のみの風の寒さや(早春賦)・・・立春から一週間目の12日、裸祭りを祝う提灯や看板が賑わう西大寺の街を歩くと、およそ「春」とはいえない「冷たい風」が頬を刺してきます。

 

しかし、観音院の正門から少し北に入った「五福通り」だけは、何か暖かいムードが漂っています。上映中の映画「三丁目の夕日」やNHKの新春ドラマ「とんび」のロケ地になった所だけあって、あの人情と活気が湧いてくるのでしょうか。

 

いまや西大寺の観光スポットとなった「五福通り」です。裸祭りの翌日からの「あと祭り」の際、ぜひ立ち寄っていただけたらと思います。「とんび」で小泉今日子が堤真一にさりげなくプロポーズしたシーンの路地も近所にあります。 五福座.jpg


2月の第3土曜日が、西大寺会陽・裸祭りです。西大寺では、「2月は西大寺がおもしろい」と銘打って各地で行事が行われています。「祭り」の会場となる観音院でも、裸群を待つ準備が着々と進んでいます。

 

 今日5日に観音院に行くと、「四本柱」が立ち、本堂の階段部分にも事故防止の木枠が設置されています。工事用の機材が横たわっているのも、「いよいよ」という臨場感をかもし出しています。

 

 私たちのグループは、恒例でCOOP西大寺診療所に午後7時に集合。腹ごしらえをし、「まわし」を締めて出発します。観客も大歓迎ですので、よろしく。

  観音院.jpg


操山.jpg 年を明けた西大寺は、早くも裸祭りの雰囲気が漂い始めています。街を歩けば「武田さん今年は?」との声が掛かってきます。

 

 「もちろん今年も」と答えますが、昨年は体調が悪く、参加してはいても本堂に上がらず、裸の渦に入らないままでした。もちろん現在も、腰の方は一進一退を繰り返してはいます。

 

 ですから、体調管理とトレーニングには心がけています。正月には讃岐の金比羅さんの階段800段を通常のペースで上る事が出来ましたし、先日は操山をいつものペースで散歩してきました。

 

 西大寺の多くの裸衆と同様、段々気合が入ってくる今日この頃です。

 

操山から見た沖新田、西大寺平野

秋は文化祭の季節です。地域の公民館やコミュニティで開催されている文化祭にヒョッコリ顔を出すのは、県議時代からの趣味で、今回もある地域の文化祭を訪れました。

 

 お茶席の会場に、「秋の七草」を活けてあり、その横に山上億良の「秋の七草」の歌が飾られていました。

 

萩の花・尾花葛花なでしこの花 おみなえし・また藤袴・朝顔の花(山上億良)

(尾花はススキのこと、朝顔はキキョウのこと)

  七草.jpg


14日は「盆の迎え」の「黒川さんさ踊り」、16日は「盆の送り」の「船っこ流し」・・全国的にも有名な盛岡の祭りも、今年は震災の物故者への思いが重なった鎮魂の日でした。議員のつとむさんも、選対メンバーもその「祭り」の担い手として活躍しており、この日は「活動中断」です。応援に入っている私も否応なしに見物の輪の中に・・。

 

 「盆の迎え火」が並ぶ街並みを練り歩く「黒川さんさ踊り」は、テレビで見る派手な「さんさ踊り」とは由来も異なる抑えた調子の「男踊り」です。「船っこ流し」は北上川の川面に地域の各町内が造った船を浮かべて、炎上させる「盆の送り火」の意味をもつ祭りとのこと。私も合掌し冥福を祈りました。 ,船っこ.jpg


2日、長島愛生園の納涼夏祭りに参加してきました。県議生活の20年間、止むをえない事情以外には必ず参加してきており、今年も入所者自治会や入所者の党支部の皆さんに会いたいと出かけました。

 

 今年は、恒例の花火は中止し、そのお金は義援金として東北に送るとのこと。そのためいつもより静かな夏祭りでしたが、それでも多くの地域の方やボランティアの参加で盛況でした。

 

 愛生園も光明園も「将来構想」がまとまり、国・県・市への提案も終わり、これから本格的な議論と具体化が始まるわけですが、国の姿勢は「後ろ向き」「地方任せ」のまま時が過ぎているのが現実です。

 

 昨年の夏祭りでお会いした方が他界された話を聞きながら、一刻も猶予がならない切迫感を感じながら長島を後にした次第です。 愛生.jpg


「なでしこジャパン」の「フランクフルトの奇跡」の興奮が覚めやらぬ24日、岡山もサッカー熱で沸き返っていました。

 昼は、美作サッカー場で「宮間・福元」が加わった湯郷ベルの試合が、そして夜は岡山の「カンスタ」でファジアーノの試合が、それぞれ多くのファンの熱烈な声援を受けながら開催されたのです。

大のサッカーファンの私も、ファジアーノの試合に駆けつけ、8000人を超すサポーターと一緒に声援を送りました。

 

スタンドでファジアーノのプレーに一喜一憂しながら、「なでしこジャパン」の快挙に思いを馳せて色んなことを考えさせられました。

プロのスポーツチームが、チームを維持強化していくことは、筆舌に尽くしがたい様々な困難があります。こうしたプロチームは、単なる一企業ではなく 社会的・公共的な存在であり、官民挙げての社会的・公共的な支援が求められています

 

とりわけ「女性選手がスポーツで生きていくこと」は男性以上に困難があります。その困難を乗り越えた選手たちが、「フランクフルトの奇跡」を生んだのです。

彼女らは、「試合を諦めなかった」だけではなく、仕事と生活を続けながら「サッカーをする」こと自体を諦めなかったのだと思います。

 

 湯郷ベルへの岡山県の助成額は年間300万円・・・金額が多いか少ないかの評価は別にして、彼女らの「諦めない挑戦」に大きな声援を送ろうではありませんか。

  ファジ.jpg


夜待①.jpg県下の夏祭りと花火大会のトップを切って、15日は西大寺水門の「亀岩祭り」、16日は西大寺観音院の「夜待ち祭り」が開催され、多くの人で賑わいました。
 私も孫を連れて「夜待ち祭り」に出向きましたが、観音院の境内は中学生、高校生をはじめ若い人でムンムンする熱気に溢れていました。また、大勢の方が「東日本の被災者へのお悔やみとお見舞い」を念じて合掌されていました。

 「夜待ち祭り」は観音院のホームページには次のように紹介されています。
「天正年間(1573~1591)に行方不明になった宝木が、本堂に参拝に来ていた信者の前に突然落ちてきた。それを家に持ち帰ると、大変おかげを得て子孫繁栄した」この後、信者は豊作のおかげを頂き旧暦の6月17日、お寺へお礼参りに行った。翌日が18日の観音様のご縁日で、そのおかげを頂けるよう"夜まで待った"ことから始まった」
 「夜待ち」の名前は、この外にも「男と女の夜待ち」話もありますが、いずれにしても、「冬の裸祭り」の西大寺の熱い夏は、この「夜待ち」から始まります。


ウェブページ

Powered by Movable Type 4.13

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち地域行事カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは原発ゼロです。

次のカテゴリは政治活動です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。