衆議院中国ブロック候補の石村智子さんと県議団の「福島原発災害視察」に同行して福島に行ってきました。6日(月)に福島入りし、7日(火)は朝から相馬市の津波被害を視察。その後、南相馬市原町の原発から20キロの「警戒区域」ぎりぎりまで出向き、さらに「計画的避難区域」の飯舘村役場を視察しました。
一日の視察で全てを理解することは不可能であることも判っており、その上、その数時間で知りえた一部の事実だけで原発被害を語ることは不謹慎かと思っていますが、「現場に足を踏み入れた者の責務」として、数回に分けて報告をさせていただきたいと思います。
原発の話に入る前に、まず報告したいのは、相馬市の津波被害です。
津波で破壊された相馬港の光景は、昨年通った岩手県の宮古や田老の港の光景そのままであり、田老の巨大堤防の上から「ここは戦場だ」と叫んだ昨年の記憶を呼びさます凄まじさでした。
しかし、そこから沿岸部を南下する車の中から見た被災地の光景は、宮古では見たことのないものでした。宮古地区は山が海岸に押し出しており、広い田畑を見かけることはほとんどありませんでしたが、この相馬地区は、海岸線から内陸に広大な田畑が広がっており、その全てに渡って奥深くまで津波で打ち上げられたヘドロで覆われていました。3・11以前には豊かな実りを誇っていた土地が、まるで沼地の底のように黒ずんでいるのです。
延々と続くその黒い土の上に立ったとき、1000年以上も前にこの地に鍬を入れた人々の気概をもってしても、ここに緑を蘇らせることは不可能と思わすにはいられませんでした。
しかも、この土と水に放射能が・・・


